MS−dosの時代からすると 拡張子を意識しないで……
ファイル操作をすることの方がなんとなく 違和感を感じるのですが……
今のOS(といっていいのかな?)は ↑前出のオートマ自動車のごとくユーザーを選ばない と言う思想の元に つくられているのですねぇ
職場でも メーラーでファイルが添付されてくると勝手に拡張子が落ちていたり そのパソコンにインストールされていない ソフトのドキュメントだったりすると やっぱり不明なファイルになっちゃいますね
前者の場合は 先方がMac版wordの時に良く起こるようで/help出された時はリネームで拡張子付けて読めるようにしてあげます
後者は例えば オアシス 一太郎 などがインストールされていないケースで その場合は 自分のPCに転送してから ワードやテキストに変換して 再度送信してあげます
どうも職場で 入力が早い人や イロイロ難しいことできる人でも エキスプローラなどから(自分は卓駆というファイル管理ツールをつかってますが)ではなく アプリケーションの「ファイルを開く(O)」コマンドからファイル開くんですね/それで例えば自分がエクセルで作ったと思いこんでいたファイルがワードで作られていた場合(アプリからでも(*.*)で見ればいいのだが……)、もう「ファイル無い、無い」って騒いでるのね。 見つけてあげますけど……。
どーなんですかね エンドユーザーは様々だから
メーカーとして 合わせて行かなければいけない方向って?
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